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ryo special

生い立ち~小学生編〜

小学校に入り、世間の広さを知る。

自分よりも足が速い子が沢山いたり、背の高い子がいたり、何につけても一番になることが難しい事実に衝撃を受ける。

だが私は負けない。

親友、ウラモと毎日過ごす。一緒に大声で歌い、一緒にヘンな漫画を描く。

私が連載していた漫画のタイトルは、「ズッコケともこ」

画才は微妙。ストーリーもイマイチ。

だけどこの頃から、「人が笑ってくれるのが嬉しい」と思うようになる。

ウラモとコンビを組んで漫才師になろうと考えたりもした。

が、ネタができなかった上、ウラモが転校してしまい、断念。

昔話のパロディーみたいな台本を書いて、クラス会で発表をよくやってた。

気の合う女子5人ぐらいで劇団じみたものを結成。

これがなかなか評判よろしく、HRとかの時間をもらって年間何作も上演していた。

卒業文集の将来の夢には『演劇をする人になりたい』と書いてある。

ふむ。ブレてない。

文章を書いたり、漫画を描いたりするのが好きで、ある日いきなり月刊『大天才新聞』を刊行。ネーミングの意味は、自分のことを天才だと思っていたからだけど、じゃあ天才にしとけや、と言ったのは父である。

「夏休み、○○へ行きました!きれいやった!」とかいう手書きの文と、得意の4コマ漫画が描いてある軽〜〜〜〜〜い内容のもので、今見ると、これのどこが大天才やねん!と突っ込みどころ満載。でも、「新聞なんやから、たくさんの人に読んでもらわんとな」って、両親は毎回30枚ぐらいコピーして、両親の友人たちに郵送してくれた。4年間ぐらい発行してたけど、毎回ですよ。

「お母さんもお父さんも、お兄ちゃんも記事書いて!」と無茶を言って、それでもみんな付き合って書いてくれて。子供のやることを常に応援してくれる両親と否定せずに、「ふーん」と付き合う兄。自分が大人になってわかったその寛大さ。すごい。すごすぎる。

文化に触れさせたいというのが両親の育児方針だったらしく、大人向け子供向けかかわらず、いろんなものを観に連れて行ってもらった。

演劇、バレエ、歌劇団、サーカス、オーケストラ、ブラスバンド、漫才、新喜劇、狂言、紙芝居、人形芝居、影絵、朗読劇、映画えとせとらえとせとら。

映画に至っては「ドラえもん漫画まつり」を見た翌週に「ああ野麦峠」を観たり。子供やからまだ早い、と思わずに、とにかく片っ端から体験させてくれたことに感謝!

でも、「ああ野麦峠」と「タワーリング・インフェルノ」は子供心に怖くて怖くてトラウマになりかけた(笑)。

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